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全国率先市民みえサミット

全体会議第3部
ランチカンファレンス


○司会  黒田 裕子〈三重県立看護大学講師〉

第4分科会報告 「災害と心のケアについて考える」
報告者 松田 千代〈防災ボランティアネットワーク松阪〉
参加ゲスト 槙島 敏治〈日本赤十字社医療センター第四外科部長〉
松田

槙島

第1分科会 「災害と情報について考える」
報告者 乾 光哉〈震災ボランティアネットワーク伊賀〉
参加ゲスト 廣井 脩〈東京大学社会情報研究所所長〉
乾 情報ボランティアのことを「デジコムボランティア」と呼ぼう!

廣井

吉田
 昨年福島であったときに、メンバーの中に車椅子集団がいる。福祉関係をやっていたので。その障害を不利でなくしようとパソコンを使っている。重油災害がHPに流れるのをみて、役立てるのではと考えていた。組織として動く前からHP担当者が3時間おきに被害情報を更新していた。夕方に正式決定したときには、情報を流し始めた。2,3日徹夜で流し続けたようです。ずいぶんお褒めいただき、大きな支援につながった。救援物資の情報でも、ものが欲しいと流すとダメだから、何日までの情報とかのアドバイスを受けて対応した。最初は待ってくれの情報とした。手元で集めてくれとした。センターが立ち上がったときには、お金やものがまとまって届いた。HP担当者が就職したので、最近止まっているが。全国ネットで情報が伝わるように、北海道に台風が上陸したときに九州でも気にするようなネットであればと思っている。
第3分科会 「まちづくりと地域防災について考える」
報告者 南部 美智代〈災害ボランティアネットワーク鈴鹿〉
参加ゲスト 重川 希志依〈財団法人都市防災研究所研究部長〉
南部
 大人は体育館で地図を広げてDIGをした。子どもたちが歩いてきた街を再現したとか。今年災害で被害を受けたところをみんなでリレーもした。分科会で、楽しんで寒い中で体を使った私たちの仕事を評価して下さい。難しいことは言えないので次は重川さんに。

重川
 寒いところに120人集まった。今日の夜6時に三重県で地震があり、被害が出た。地域の3つのグループで地図、全国の人には三重県の地図、町歩きの子どもたちにもその地域の地図を渡した。直後に何をするか、3時間後に何をするかを書いてもらった。直後は、火の始末、電気の始末、ドアを開ける。全員が忘れていたのは自分の命。3時間後は食べ物の確保、家族、親戚の安否、大事なものを持ち出す。命と家族とその場の近所の人の命を守ることをやってもらいたかったが。そのあと、地図の上で国道、鉄道、避難所を書いてもらった。四日市からご遺体を20体扱って欲しいと言われたが、預かれるかと考えてもらった。避難するときには運搬手段、状況の事前把握などの現実的な問題が訓練を通じながら分かってきた。3日分のことを1時間20分でやった。具体的な問題が分かってきて、次のDIGでは火事の時の水がどこにあるかというような具体的なDIGをやった方がいいのではと言う意見が沢山出た。サラダオイルとかでのほのぼの灯りを作った。亡くなった人に黙祷を捧げて、最後にご飯を炊いて終わり。最後に、宣伝を。今日のDIGを具体的にどうやればいいのか説明した小冊子。600円という実費で分けているので、地域で広めたい人はこの場でお買いあげを。宮本さんからコメントをもらった。それにみんなとてもよかったと思った。災害に強い人はどんなに大変なときでも人のことを思いやって人のことを助けられる人。それが災害に強い人。そういう人が自分の待ちに沢山いること。それが災害に強いまちづくりだと。

黒田
 感動する話をありがとう。そこまでやった分科会はないと思う。さすがビューティフルコンビ。小村と平野が発信した。多くのところで使っていただいた。神戸でやっても違ったと平野が言っていたが。

沢井・鈴鹿市
 最初南部の話を聞き、石薬師のまちづくり協議会も参加し、企画の段階から入りたいと申し出た。イベントでやると、地域は裏方で駐車場係とかになるが、それでは今私たちがやっているまちづくりと一貫性がない。企画から入りたい。阿部さんの会社におじゃまし、企画段階でまちづくりと防災を考えようと。感想は、石薬師の住民を含めて皆さんが今日が危機感を持ったかなと。まちづくりで大事なのは危機意識。なぜ自分たちが動かねばならないのか。ふだんの生活では出てこない。災害が起きたら、ゴミが出たらとかがよいテーマだと思う。来年、まち協ができて20年。この防災マップを19の各自治会で年末にかけて地域の掃除をするときに図上に落として、お年寄りから子どもたちまでやれたら面白いなあ。19自治会全部出町を歩いて高校生の力を借りて、マップを作って、神だけでなくパソコンで発信できれば。実際に災害が起きたときにボランティアできていただけるようなものができればと。

南部
 この会全部に、島原から九十九島煎餅。食べた人は必ず再来年島原に来て下さいとのことです。
第2分科会 「災害救援市民活動について考える」
報告者 山本 康史〈ハローボランティアネットワークみえ〉
参加ゲスト 林 春男
        〈京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授〉
山本
 災害救援市民活動というが、いい意味で災害救援を離れられた。半分が行政に絡んでいる中での分科会。官の方、学の方、民間の人間が一同で活発に議論ができた。官と学民がそろったのでどう連携すればいいか。具体的な例、二千年問題で鈴鹿市がこういう広報をやったが、どうすればよかったのかとか、具体事例を元にネットの作り方を話できたのはよかった。官は責任感を持ってやるのは当然だが、官が民間に信用を得ようと言う意識がなかったのでは。相手が必要と思ったときに素早く出せるよう、信用を持ってもらえるようにすべきでは。民間も責任感を自覚するのは大切ではというような議論でした。


 今日の集まりの人数二十人足らずだったが、大部分はコウモリ。イソップの鳥と獣の戦争。職を持っていて、二つの顔がある。身は組織にあるが、気持ちはボランティアという人がほとんど。若い人や悠々自適の人と違って。同時に、組織がなかなかそういう人を受け入れられない現実、なかなか解決できない現実も知っている。そういうコウモリであること、率先市民の社会を作る上で重要ではという議論もした。ボランティアを巡る議論が、市民に変わって行政にものをいうとか、行政ができないところを市民にしてやるとか。市民でも行政でもないエイリアンかというような議論が多かった。やはりコウモリである。組織人でも市民でもある。それをどう調和させるのか。そういう社会の一部に行政もある。そういう議論ができた。
 救援活動をするのは、長い稽古の晴れの部隊で上手に演じるには厳しいお稽古が必要。それが毎日の生活。災害救援という待ちぼうけという童謡のように、次のウサギを待っていて暇だから仲間を作るというのではなく、自分のところで起きる前にその部隊の前に、本を練り、役者を揃え、いい稽古をしてもらう。そういう意味ではまちづくりボランティアと重なるだろう。情報ボランティアとも重なるだろう。多様な職能を上手くアレンジできる努力を続ける必要がある。石油精製プラントに携わった方が指摘されたことだが、工場をきちっと運営するには目標と水準、危機監理のマネージメントがある。地域に置き換えて考えれば環境や防災、地域開発、まちの住み良さ、魅力アップにつながること。全部に同じ根を持っている問題。どこかに特化するのではない。率先市民が住んでいる社会、三重にしていただければと思う。

黒田
 人数は多くなかったが、官学民と一緒になって新しい社会を作るという。平野さん、行政マンでもボランティアでは。行政、市民とのよきパートナーシップが必要では。

平野
 うちの分科会で一貫して流れていたのは、率先市民の考え方。みんながやれる範囲で得意な分野をやれば長続きするし気持ちもいい。会社では階層管理ができている。
 それは大事だが。それを地域社会でマネージメントしてもらえば助かる。能力の社会貢献になる。得意な分野でやってもらう。それが市民社会を作るきっかけになると思っている。
第5分科会 「市民から見た水害復旧のあり方について考える」
  ○
  ○コーディネータ
報告者 水谷 慎吾〈桑名・防災支援ネット〉
参加ゲスト 伊永 勉〈エイディアイ災害救援研究所所長〉
水谷
市民から見た水害復旧のあり方を考える。十人の大盛況でやった。来ていただいた方の中で、片田さんが水害というものがどういうものかを説明受けた。いろんなタイプがある。水害慣れしているところもあるし、遭ったことがないところもあるし、内水という堤防の外でゆっくり水がたまる水害とか、外水という急激な洪水とか、局地的な豪雨が増えている水害とか。その中でどういう復旧をするのか。普通の人は置いてきぼりになるのでは。どこまで関われるのか。人が住んでいるから災害。人が住んでいなければ災害ではない。もともと地元の人は水が出るところに住んでいない。新興住宅地とかで住む人が増えてきて、新住民が災害に遭うことが多い。そういう場合は、ハザードマップとか危険区域である情報を出しておく。アメリカで、危険地域を移転
するという計画もある。企業と組んで二百年ローンとかが認められたりする。日本は土着性があり、その土地を離れたくない思いが強い。危険地域からすべての人を移転することは難しい。マップとかを広めてそれでも住みたい人は好きにしろと言うことでも良いのでは。自己責任の範囲では、地域に住む人は地域を知ることが必要。ボランティアはどういう立場で望めばいいか。依頼のないところには行かない。深く入り込むことはできない。最後に、ボランティアが必要な時、危険なとき、水が入ってきて逃げるとき、タンスを二階に上げるときにボランティアはできない。やるのは家族。ボランティアは危険なことまでは手を出さない。危険が過ぎ去った後に活動を始めるべき。家族的なところまでかかわるのは率先市民という言葉で表せるのでは。

伊永
 やっと時間をもらいました。三時間ほど、では三分で(^_^;)。水害で市民、ボランティアがどう関われるかディスカッションしたかった。意見を持っている人が多かった。大きな成果は、こう表現できないか。ボランティアの安全とかかわるが、危険なところに行く、水に浸かった家具を運び出す。それは危険なので、家族や隣近所など。水害の時に第三者をボランティアとしておく代わりにルールがいるだろう。やるなら守るルールはいるだろう。そこにコーディネーターがいる。そこが三重県のコーディネーター養成につながり、それが率先市民。日赤でマニュアル作りをしており、そこにいかしたい。
 台湾で昨日、三重県の真っ赤な地震防災読本は家にありますか? それが非常に良いものだと、台湾のかぎ市で中国語版を作り、1万冊を配る。できたら台湾中に配りたい。資料提供は三重県。これが決まったので、1月11−12日に台湾から知事に表敬訪問がある。三重と台湾の交流もできればと思う。三重のビューティーペアに台湾に行ってもらう。クリスマスパーティーを子供たちと一緒にしてきてもらう。南投、台中に行ってもらう。

黒田
 片田さんの講義を元にしてできたようだが。

片田
 私の日ごろ思っていること、水害の場合は地震などと違って、地域の固有の事情もあって外の出方も違うという話をさせてもらった。実り多き分科会だったと思う。通して二日間の参加で、熱意ある方々の話を聞けてありがとうございました。

福島
 分科会はあっちこっち回っていたが、水害は毎年起こるので、行政も平成7年以降、地震を取り組んできたが、水害は毎年起こるので大事なこと。台風対策とか、ボランティアも地震に目がいっていた。やって行かねばと思っていた。伊永さんからも東北の時にマニュアルないかと言われ、何もなかった。水防団もいるので、そういう知識とか実績とかどう取り組むか、考えていきたい。

黒田
 林さんが最後におっしゃったように、産官学民のよきパートナーシップと横の関係ができたのではと思う。昨日も宮本さんが、今後は行政マンと言い関係を作らないと良い社会ができない。かつては良いところの奥さんがするのがボランティア。阪神はそれをうち破った。ボランティアといったのは好きなことをする、特異なことをする、それがいつまでも続けられるボランティア。率先市民のサミット、分科会で何がキ
ーワードか。私が思ったのは情報がいかに大切であるかと思った。第一分科会でも情報ボランティアをデジコムと発信したいと言ったが、情報発信するためにどういう訓練が必要か、教育もして行かねばならないのではと思った。ボランティアはして差し上げるのではない。
 神戸でも、仮設がなくなったからボランティアをやめるのではなく、市民が市民を助け合う中から新しい社会を作る。市民基金神戸を作った。民間、行政マンなどと連携していきながら作った。心ある方がいらしたら、会員になって支えていただければと思う。
 昨日と今日よき学びをされたが、自分の地で一人でも仲間を増やし、生きたネットワークを作ることが三重県で開催した意味があると思う。
率先市民みえサミット宣言

中村
 いよいよでございます。どうぞ前に出てきて、私を一人にしないで下さい。私事で恐縮ですが、長田で炊き出しをしたときに、ゴミの中に一対の雛人形を発見した。それが脳裏に焼き付いている。日常の暮らしが一瞬に崩壊することを繰り返したくないなと。皆さんもいろんな動機があると思う、それを積み重ねて三重県はここまで来た。このサミットはもうすぐ終わる。できれば楽しい時間を続けたいが、我々には大きな仕事がある、今日の成果を向こう三軒両隣に伝える仕事がある。皆さんには率先市民として道なき道を先に開いていただく仕事がある。どうかこの宣言を元に道を切り開いて欲しい。

「率先市民みえサミット宣言」
私たちは望んでいます。
私たちの暮らしが、安心で安全な毎日であることを
きのうの出来事がありました
つらくとも乗り越えてきましたね
きょうの出会いがありました
手を取り合って語り合い
あしたからは一緒に進みましょう
私が明かりを灯し、あなたの手を引き背中を押して
そしてこのみえから、大きな率先市民の旗を掲げるのです

(全員で唱和)

閉会挨拶

杉本
今日は副実行委員長が閉会の辞をさせていただく予定でしたが、ご親戚にご不幸があったので私からとなりました。
 私は、二日前に災害を起こしてしまった。イベントの内容が出来上がっていなくて、ボランティアセンターを立ち上げてもらって、スタッフの特技をいかしてもらい、何とかイベントがものになったのではと思う。すてきな率先市民のスタッフと、大目に見ていただいたすてきなゲスト、そしてすてきなお客様、そして目に見えないところで支えていただいた県の方々、本当にありがとうございました。私自身もすてきな率先市民になりたいし、いろんなところのすてきな率先市民を探しに行きたいと思っています。どうもありがとうございました。